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前兆

今思うと病気にはあれが...と思われる前兆みたいなものがある。


食道がんだった母の場合は、突然の下痢症状。お腹がキュル
キュルと痛くなって下痢を繰り返した。KO病院に通って検査を
繰り返したが便潜血が時々ある程度でその他の検査にはひっ
かからなかった。


最後の通院から3年と少し経った頃にガンがわかった。でももう
末期だった。


V-shan の場合は、微熱が続いた。
普段36度3分くらいしかないのが、37度が暫く続いていた。
この時子宮筋腫が新たに出来ていたのとも重なっていたので、
筋腫による炎症か何かの熱なのか、それとも腫瘍熱なのかは
不明だ。


でも、体調には必ず微妙に前兆が現れているのだ。


熱で一つ。ガンになると腫瘍熱という38度くらいの熱が続く。
末期の患者特有の現象なのかどうか、よくは知らないが、
末期だった父も母も連日38度が続いた。その時初めて腫瘍熱
を知った。


なんであれ、熱は体調変化の一つのシグナルだと思う。

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緩和ケア・・がんの痛み

がんの痛みを管理できる薬剤師の育成を目指し、学会が
結成されたそうだ。


緩和ケアに関しては、当地は進んでいて母の時、助かった。
日本で最初に緩和ケアに取り組んだといわれる医師の一人が
駅前で開業していて、往診をしていてくれたからだ。


父母(ちち・はは)のガン末期の時の痛みについて考えると、
二人ともおそらく世間で知られている壮絶なガンの痛みという
ものには幸いにして見舞われずにすんだのではないか、と思っている。


確かに母の時はこのモルヒネの管理の専門の先生の指示が
あったから痛みは母を襲わなかったのかも知れない。
それに比して父はどうだったのだろう。
父はモルヒネなどの痛み止めは使わなかった。自ら「そんなもの
を使うのは男らしくない」と拒否していた。


ただ、父がモルヒネに言及したということはもしかして、痛かった
のかも知れないと後になって思った。
でも、おそらくそれも検査入院の際に肝臓の検査と同時に抗がん剤
を肝臓に注入するとき、医師が間違って胆嚢のほうに抗がん剤を
注入し、「漏れてしまった」ため、肝臓の近くが痛かった為らしい。


検査入院後の退院生活でもまた再度の入院生活でも痛みは訴え
なかった。し、痛みで悶絶することもなかった。
そういう意味では家の場合はラッキーだったのかも知れない。


痛みと吐き気はなんら我慢する必要はない、と云って周りの患者に
痛み止めや吐き気止めを処方していた3年前の病棟の医師たちの
言動にはなるほど!と思ったものだ。

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黄疸

朝起きて洗面所で鏡を見たら、顔が黄色かった。
黄疸に違いないと思って、白目を覗いた。
う~ん。
コンタクトレンズのせいで、白目は常に一部黄色い。
首や腕の皮膚の色を観察する。う~ん。黄色い。
黄色人種の面目躍如だ。


黄疸というと思い出すのは、父がガン末期で黄疸が
現れた時のことだ。
胃源発の肝転移だったので、黄疸は素人の目にも
直ぐにわかった。尋常じゃない黄色さなのだ。白目も
勿論黄色い。


父は男だった為、身の回りに鏡を置かず、為に自分の
顔を見るという事がなかったから、気が付かないでいた。
医者だったから、己が黄色い顔と目を見たら直ぐに
理解したことだろう。


人は先人の周りで起こることを体験して学び取る。
この顔の黄色は夕べ洗顔しないで寝てしまったせいだ。
大分疲れていたのだった。

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築地市場駅の地下道には・・

Sany0015こんなおいしそうな鮨の看板があちこちに・・。
ほれ、こっちにもこんなのが・・Sany0016
これっていくらするんだろう?
 
先週末来、鮨が食べたくて
食べ損ねている!
 


ここの駅の地下道歩いていると、向うから、いかにも築地の場外
市場で買ってきました! というようなお魚の匂いプンプンのレジ
袋をぶら下げた人達が帰ってくる。
すれ違うたびに、ご苦労なこって・・と思ったけど、お鮨食べたく
なるとやっぱりあれくらいのイキのいいのが食べたいな~。

でも、あと1年たたないと築地市場駅にはいかないしな・・・
鮨は食いたし、築地は通し・・・

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